推しが卒業した1年を振り返る

こんにちは。ブログを書くのはお久しぶりです。

 

この間はてなブログからメールが来て、前に書いた振り返りブログを読み返してたんですね。

「あなたを包むすべてがやさしさで溢れるように」 - おりすのブログ

それで「やっぱり1年の振り返りをするのは大切かもなぁ」なんて思って、はてブロの思惑通りめちゃくちゃ久しぶりにブログを書くことにしました。

 

でも今年のは竹内さんとアンジュルムのことじゃなくて、どちらかというと竹内さんを軸に生きる私自身の話です。推しが卒業した時の自分をどこかに残しておこうかなぁって思って、それで書いてます。魂かけて応援してた推しが卒業していくところを全力で見届けるって、人生でそう何回もあるもんじゃないですしね。

 

どうでもいい人はどうでもいいと思いますが、読んでくださる方は友達の話を居酒屋で聞いてるくらいの気持ちで読んでいってください。

 

卒業発表のときはやっぱり戸惑うし落ち込むもの

一応自己紹介しておきますと、私は元アンジュルム・リーダーの竹内朱莉さんを推していました。「推していました」とか言って今も全然応援しています。

 

彼女がアンジュルムからの卒業を発表したのは今からおおよそ1年前、2023年12月20日でした。

 

あの日のことはよく覚えています。たまたま体調を崩して、いつもなら帰れていない時間に偶然もう家に着いていて、お布団の中で卒業発表したことを知りました。

 

大きな衝撃はありませんでした。勝田さんや中西さんが卒業した頃、予想だにしないペースで大好きなメンバーが大好きなグループからいなくなっていくのがショックで、卒業発表直後よく泣きながら家に帰っていたことが結構トラウマになっていたのです。そんなわけで竹内さんのときはもう何年も前からめちゃくちゃ心の準備をしていて、ようやく来たか〜くらいに思っていたところもあったかもしれません。

 

自分がどんな気持ちでいたのかは覚えていませんが(というよりあの時も言葉にできない感情に戸惑っていたような気がします)、あの瞬間はとても静かでした。寂しさとショックと、ホッとしたような気持ちでしょうか。そんな感じだったような気がします。

 

次の朝から謎に気持ちと身体が重くて思うように動かせない状態になって、それは本当に焦りました。当時としては「(覚悟してたから)思ったよりそんなに落ち込んでない」という実感だったので、謎の身体症状があらわれたことにビックリしたというか。

 

でも数日したら嘘のように元気になりました。もしこれをお読みのあなたが起こりうる上記のような身体症状を経験することがあれば、おおよその場合すぐ嘘のように元気になることを信じて頑張ってください。

 

とにかく、そんな感じで卒業発表後の数日間のショック期は終わりました。なんかすごく重い話のような書き方になってしまいましたが、ショックさで言えば年末にあったCDJに外れて行けなかったことの方がよっぽどショックだったくらいで、本当に思ったより元気でした。

 

何事も覚悟しておけば精神的なダメージを回避できるのかもしれません。常に前を向いていた竹内さんとアンジュルムのおかげでもあります。

 

全力で生きるのって結構楽しい

竹内さんが卒業を発表してからの半年は私にとっても怒涛でした。もう今しかないと思ってとにかく行けるだけのライブは行き、実際30〜40公演くらいあったうち3〜4公演以外は全て足を運びました。人間やればできるもんですね。

 

そう、人間やればできるもんなんですよ。そんなに身体が強い方じゃないので働きながら休みなく毎週末どこかにライブに行くなんて体力的にできるのかと思いましたが、なんとかなりました。

 

そしてびっくりすることに、あの忙しない半年間を通じて私は多分成長し、強くなりました。

 

私は生まれてこの方、何も顧みず全力で頑張ったことがなかったように思います。勿論よーし頑張るぞと取り組むことはあるものの、なによりも自分の身体が大切です。それはいいことですが、大好きな人のためなら何でも楽しんでできる自分もいることを知れたのは、私にとってとても幸運でした。

 

「ああなんだ、自分なんて何もできないと思ってたけど、竹内さんのためなら何だってできるじゃん!」と気づいたんです。毎週いろんな土地に行って大好きなオタクに会って色んなところでご飯食べて、まあ私がやっていたのはそのくらいですが、どんだけ早起きでも疲れても次の日の仕事がしんどくても、あの時間は全部とっても楽しいものでした。

 

自分の弱さに甘えてなりふり構わず全力で生きることを今まで恐れていたのですが、やってみたら楽しかったと思えたことは自分の中での大きな自信と強さになりました。

 

普通こういう成長はもっと尊く価値のある行為(例えば部活とか仕事とかアイドル活動とか)を通じて得られるものであり、竹内さんなんかはこんなハードル小中学生の頃に乗り越えてるのかもしれませんが、人には人の人生です。

 

…ここまで書いたところで、佐々木莉佳子さんの卒業が発表されました。

 

あぁこんな気持ちだったなぁなんて去年のことを再び鮮明に思い出しました。心に一つ膜が張られてる気分といいますか、「卒業」という単語にバリアを張りすぎて悲しみを実感するところまで辿り着かないんですよね。

 

今もそうかもしれません。大好きだったアンジュルムが形を変え続けることが今はすごく寂しいですが、せっかくなのでこの話はまた後で少ししようと思います。

 

とにかく、私は最後の半年を必死で駆け抜けました。全力でお金と時間と体力を底まで使いまくってオタクしてたなんて全く褒められるようなことではないのでしょうが、あの時間は私にとっては宝物です。多分これから先の人生、新しいことに挑戦しようと思った時には必ず2023年の春を思い出して勇気づけられるのかもしれないな、なんて感じたりもしています。

 

竹内さんは卒業までびっくりするくらいいつも通りでした。他のメンバーがいなくなったときあんなに泣いていた竹内さんが私たちの前で涙を見せたのはほんの2,3回くらい。あとはずっと笑顔でただそこにいて、泣いたり笑ったりするメンバーたちを見守っていました。

 

私もそれに引っ張られたのか、思っていたよりも泣くことはありませんでした。卒業前に訪れる『最後のイベント』はほとんど何もかも覚悟していた予定調和だったので、感情の壁をぶっ壊してくるほど想像の域を超えてくることは滅多になかったからかもしれません。

 

でも、最後のフェスとなったJAPAN JAMで3年ぶりの大歓声に包まれながらステージに現れた竹内さんが見せた涙とか、ああいう情景に大きく心が動かされたこと一つ一つはよく覚えています。

 

初めての個展で竹内さんの書を運良く購入できたことも本当に嬉しかったです。これを読んでいるあなたが私の友人であれば私がどれだけこの『魂』を愛しているかうるさいほど知っていると思いますが、何回話しても足りないのでやっぱりこの話はしておきましょう。

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竹内さんのことをよく知らない人に「どこが好きなの?」と聞かれたら、私は「彼女の魂が好きなんです」と答えていたんです。そう言えばよく知ってくれる気のない人は普通に引いてそれ以上なにも聞いてきませんから。笑

 

それに、魂が好きって言い方は少々変な言い回しで重たいかもしれませんが何だかしっくりくると思いませんか。見た目も好きだし中身も好きだし、見た目でも中身でもない何かがとにかく大好きなんです。それって“魂”じゃないかと思うんです。

 

個展で初めてこの書を見た時、「運命だ!」と胸を高鳴らせながら何十分もその場にいました。好きな言葉に大好きな魂が乗っかっていると思えたからです。これから先、竹内さんは書道家としてたくさんたくさん作品を残すと思いますが、“アンジュルム竹内朱莉”が築き上げた涙と笑顔の魂があんなにくっきり爪痕になっている作品はあれだけです。あの春を駆け抜けた私自分の証でもあります。文字通り、宝物です。

 

でもあれから半年経ち、あの書のためにペンキで壁を真っ青にした部屋がとんでもなく汚くなってしまっています。今なんだかすごく申し訳ない気持ちなので、年内には必ずもう一度綺麗にしようと思います。

 

そんなわけで、卒業発表してからは本当にあっという間の半年でした。

 

思えば卒業発表があったあの12月まで、私は竹内さんが卒業してしまう未来をずっと恐れていました。アンジュルムを応援していた時間が何にも代えがたいほど楽しく、何より彼女が自分の人生からいなくなるかもしれないことが怖かったからです。

 

でも、あんなに恐れていた推しの卒業までの期間を元気に楽しく過ごせたのは一緒に楽しんで駆け抜けてくれた友人たちのおかげでもあり、何より竹内さんのおかげです。

 

変わるもの 変わらないもの

卒業する直前と直後の話をしようと思います。

正直なことを言うと、卒業直前に何を思っていたかはあまり覚えていません。今思い出せるのは、春ツアーの楽しい忙しさにほとんど押しつぶされていてとにかく少し休みたい気持ちと、あと数回のライブで一度全てが終わってしまうことが信じられない気持ちくらいです。

 

推しが卒業するって、何と似ているでしょうか。アイドルにとって自分の卒業は学校を卒業するものかなぁと思ったりもしますが、少なくともオタクにとっては似てるようでやっぱり全然違います。ほとんど一方的に大好きなだけのほぼ他人との別れをこんなに惜しむことって他にありませんから、何かに例えること自体間違っているのかもしれません。

 

「卒業は別れじゃない」みたいな言い方をすることもありますが、やっぱり明確に別れではあります。皆から慕われ愛されていた世界一カッコいいリーダー、アンジュルム竹内朱莉は二度と帰ってきません。そう思うと、今でもちょっと泣きそうになります。

 

というより、今になってようやくそういう別離の悲しさと向き合えるほどの余裕が生まれてきたと言った方がいいかもしれません。あの時はあまり考えないようにしていました。

 

卒業の当日も、ほとんど涙は出てきませんでした。想像していたよりよっぽど穏やかで静かでしたが、開演前に意味の分からない理由で大泣きしたりもしたのでずっと感情のやり場に困っていたのかもしれません。

 

好きになった日から卒業ドレスを着る日までずっと愛らしくカッコよく美しい彼女がすごく誇らしい、というポジティブな感情が強かったのも確かです。何か言葉にして残すためにこのブログを書いていますが、まとまらない感情を無理やり言語化しようとするのはやめておいた方がいいのかもしれません。言葉にできない感情は確かにあるんだと学びました。

 

竹内さんが横浜アリーナで卒業した6月21日は一生忘れることはないであろう節目の日ですが、あの時なにか明確に別れや区切れや立ち直れないほど強い悲しみを感じることはありませんでした。ただ夢のような楽しいコンサートだった、というのが一番しっくり来る日でした。

しかし、竹内さんが卒業してからすぐに私自身も生活のほとんど全てをガラッと変えました。前と同じように竹内さんのいないアンジュルムを追いかけても、惰性で干からびて死んでしまうと思ったからです。

 

以前ほどライブには行かなくなりました。毎日アンジュルムしか聴いていなかったプレイリストを全部変えて、しばらくTwitter(X)を見るのをやめて、空いた時間で勉強したり本を読んだり。

 

立ち止まってはいけないと思いました。惰性でオタクをするほど不毛なことはありません。いつか現実に疲れたらずっとなんとなくアイドルを見守り続ける生き方をするのも悪くないと思いますが、それは今ではないという気持ちでした。

 

そして立ち止まらなかった選択は間違っていなかったと思います。少し前に仕事も変えたので、去年の今頃には想像もつかなかったような生活です。新しい環境で大変なことも多いですが、今のところは現在の暮らしに満足しています。

 

変わったこともたくさんありましたが、その一方で変わらないこともたくさんあります。幸運にも彼女はグループを卒業したあとすぐに表舞台へ戻ってくる道を選んでくれました。

 

アイドルを辞めて新しく始まる日々の一部を私たちと共有する選択をしてくれたこと、感謝してもしきれません。私が竹内さんから気持ちを離さずに今日もこうやって生きていられるのは、今も楽しく応援できているからです。

 

ライブには行かなくなったと言いましたが、竹内さんの出るライブにはほとんど欠かさず足を運んでいます。なんたって彼女の本業は書道家ですから、アイドルが本業だった時より“全部行く”のが簡単になったのはある意味ありがたい気持ちです。姿を見られない期間が長くなるのは結構つらいものがありますが、機会があるのに行けないのも同じくらいしんどいものです。

 

書道の個展に行くのもとても楽しいです。私は竹内さんと直接話しているとき、世界一大好きな人の前でどんな顔をして何を喋ったらいいのかわからなくなってしまうので、会話という会話をした気分になることはほとんどありません。

 

でも、書はとても素直です。今ちょこちょこ勉強中なので教授の作品を前になにか偉そうなことを言えるたちではありませんが、どこからどう見ても竹内さんの作品は彼女自身の心情を反映して大きく変わっています。だから作品をじっと見ていると、不思議と目の前で竹内さんの話を聞いているような気持ちになります。

 

この線はすごく軽やかだなぁなにか楽しいことがあったのかなぁとか、これはこの間の京都旅行を思い出しながら書いたのかなぁ楽しそうで嬉しいなぁとか、この辺りはちょっと筆が引っかかってて何か迷っているのかなぁとか…

 

まあどこまで的を射た感覚なのかは分かりませんが、私は書道という表現媒体の心情を反映する素直さ、反面どうとでも捉えられる大らかさがとても好きです。自分なりにとても楽しく書道家のオタクができていると思います。

 

だから生活は変わりましたが、私の気持ちはそこまで大きく変わりません。竹内さんが卒業したら彼女への愛がなくなってしまうのではないかと恐れていましたが、今のところその心配は必要なさそうです。

 

竹内さんにとってこの一年はどうだったのかなと思いますが、私にはあまり想像がつきません。彼女の立場を想像してみることはよくありますが、竹内さんはどう考えても私とは根本的に全く違う人間なので、今日色々と風呂敷を広げて分析するのはやめておきましょう。

 

変わったところもたくさんあると思いますが、竹内さんが竹内さんのまま変わらずいてくれることを何より嬉しく思います。何か変わることがあったとしても、変わらずになるべく全てを愛していきたいと強く思います。

 

置いてきたものとか

ここまで読んでくださった変なあなたには正直に打ち明けると、アンジュルムに対する感情だけが6月21日から先に進んでいません。

 

竹内さんが動き続けているから追いかけなきゃ!という一心で立ち止まらず進んでいますが、その一方でアンジュルムを見ているときに前のような激情が湧かないのです。

 

ここ半年間アンジュルムのライブにほとんど行かなかった理由の半分はお金です。どうにでもなれと思ってなりふり構わず頑張ったことは特に後悔も反省もしていませんが、しばらくアンジュのライブに行くのをやめようと思うくらいには十分な打撃でした。笑

 

先日、ようやくお金に余裕が戻ってきたのでアンジュルムの武道館公演に行きました。2階席から見る半年ぶりのアンジュルムは、何も変わっていないようで私にとっては何もかもが違いました。ライブが60分あったら55分は見ていた人が突然いなくなったら、やっぱり前と同じように見るなんて無理な話です。

 

卒業したメンバーのことばかり思い出して今のアンジュルムをしっかり楽しまないのはもったいないことです。そういう思いでずっと前のめりに竹内さんのいるアンジュルムを応援してきました。

 

でも今は、あぁ今もみんな頑張っているなとなんだか俯瞰してアンジュルムを見ている自分がいます。竹内さんのパートだったところで腕を上げそうになって、今日は違うんだったと一々思い出して目の前のライブに集中できていないことに戸惑い、少し申し訳ない気持ちになりました。

 

今まで卒業ラッシュがあろうとコロナでライブが途絶えようと置いていかれまいと必死でついていっていたアンジュルムに、初めて置いていかれたことを感じました。

 

これはアンジュルムが置いていったというよりも、私が立ち止まっているだけに過ぎません。寂しい気持ちもありますが、今はそれで良いんじゃないかなとも思っています。

 

鈴蘭が武道館のMCで「色んな気持ちでライブを見に来てくれていると思いますが、それでも来てくれてありがとうございます」みたいな旨のことを涙ながらに話していて、少しもらい泣きしました。今はアンジュルムへの大きい感情を6月に置いてきていますが、それでもライブに遊びに行っていいんだなと勇気づけられた気持ちでした。

 

アンジュルムへの感情は多分時間が解決するんじゃないかなと思います。竹内さんがいた頃のことがつい頭をよぎるのは、まだ“アンジュルム竹内朱莉”の姿を鮮明に思い返せるからです。少し悲しいですが、時間が経てば“アンジュルム竹内朱莉”がもっとちゃんとした思い出になります。そうなったら、やっと純粋に今を進むアンジュルムを楽しめるようになるのかなぁと思ったりします。こういうとき難しく考えてしまうのは私の困った癖ですね。

 

アンジュルムを全力で応援していた事実は変わりませんし、アンジュルムが続いていけばいつかまた全力で追いかける日が来るかもしれません。何より、「これからのアンジュルムもよろしくね」と笑ってた竹内さんと竹内さんの愛する妹たちのことを思うと、やっぱり今のままでも時々は遊びに行きたいなぁと思います。

 

昨日佐々木さんの卒業が発表された瞬間、ちょっとした驚きの後納得して冷静に去年のことを思い返している自分がいて、何を言っても白々しい気がして何も言えませんでした。

 

ここまでちゃんと言葉にしようと思って文章を書き連ねていましたが、結局自分の感情を正確に言葉にするなんて無理なのかもしれません。

 

とにかく、アンジュルムと佐々木さん自身、これから去年の私と同じような道を辿る佐々木さんのオタクたちが幸せに過ごせることを祈っています。

 

私にとって推しが卒業して様々なことが変わったこの1年は、トータルとても楽しく幸せな時間でした。そのことを伝えたいがためのブログなので、尻切れトンボのような形ですがこの辺で終わらせようと思います。長々とすみませんでした。

 

ではまたどこかで!良いお年を!